(2025.5.25)
毎日Webマンガで「アンナ・コムネナ」を見ていた。
そして図書館で「歴史の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品」を借りた。
アンナ・コムネナは東ローマ帝国(ビサンツ帝国)コムネノス王朝の皇族で
コムネノス王朝初代皇帝アレクシオス1世コムネノスと
有力貴族ドゥーカス家出身の皇后、エイレーネ・ドゥーカイナの長女として生まれる。
アンナが生まれてすぐに
ドゥーカス王朝の皇帝ミカエル7世の息子でアレクシオスの後継候補、
そしてアレクシオスの共同皇帝とされていたコンスタティノス・ドゥーカスと婚約、
そのままコンタンティノスが即位すれば、アンナは皇后になれたのだが
4年後に弟ヨハネスが生まれたこと、さらにコンタンティノスが急死したため、
皇后となる道を絶たれてしまう。
後にアンナは父アレクシオスがまだ将軍だったころに討伐された
アドリアノープルの名門軍事貴族ブリュエンニオス家の
ニケフォロス・ブリュエンニオスと政略結婚をする。
アレクシオス1世死去後に、共同皇帝となっていた弟ヨハネスが皇帝ヨハネス2世として即位。
アンナは夫ブリュエンニオスを皇帝に就けて自分が皇后となるために
弟ヨハネス2世の暗殺するクーデターを計画するものの
夫ブリュエンニオスにその野心がなく、結局クーデターは失敗、
アンナは捕らえられて財産を没収される。
後に弟ヨハネス2世と和解し、アンナは母エイレーネが建てたケカリトメネ修道院に入る。
夫ニケフォロスは義母エイレーネに頼まれアレクシオス1世の治世についての歴史書を執筆していたが
ニケフォロスの死によってこれは未完になってしまった。
その後アンナが引き継いてそれを完成させた。
現在もアンナ・コムネナの肖像画が残されておらず、
ケカリトメネ修道院の特定にも至っていないなど、
アンナ・コムネナについては詳しい事が分かっていないという。
作中には同じような名前がたくさん出てくる。
長男には父方の祖父の名、次男は母方の祖父の名、長女には父方の祖母の名を付けるとう
命名法が普通で子供たちには父方の姓が優先される事が多かったらしい。
めちゃくちゃ、ややこしいし分かりにくいし、
「この『ヨハネス』はどこの『ヨハネス』?」みたいな……(滝汗)
コムネノスの女性型がコムネナという事も初めて知った!
この本は第1部と第2部に分かれていて
マンガの作者は第1部を参考に、そしてオリジナル要素も加えた感じ。
第2部はまるで学術論文みたな堅苦しい文章がツラツラと続く。
第1部のほうが面白かったし、読みやすかった。