(2026.1.18)
奈良井宿でお酒を買ってからお店の外に出て駐車場に向かって歩いていた時
後ろから歩いてきた男性数人連れがいた。
この人たちは自分が酒屋さんにいた時に同じく店内にいた人たちだった。
大きな声で話しながら歩いているので
聞き耳を立てなくても会話が耳に入ってくる。
現存している宿場町についての内容だったが
なんと!大井川川越遺跡の話になった!
こんなに遠く離れたこの場所で県内の観光地の話を聞くことができるとは!!
びっくりだ!!
そういえば、かなり昔に家族で行ったことがあった。
しかしほとんど覚えていない。


「間の宿宇津ノ谷」の次に大井川川越遺跡を訪れてみた。

「三番宿」

番宿は川越人足が普段詰めていた場所。
最盛期には島田・金谷併せて1000人ほどいたらしい。
勤務管理上、一組から十組までの計十組に分け
各組の待機場所を「一番宿」~「十番宿」と呼んでいた。

当時の通貨で換算。意外と高い!

上流庶民、大名家臣を乗せた半高欄連台や

大名や将軍を乗せた大高欄連台などがある。
こういう人たちを濡らさないように運ぶには人足も増やすし
高額になるよね……。
慶長8(1603)年、江戸幕府は軍事的な理由から
大井川に橋を架けることや渡船が禁止となる「渡渉制度」を発令。
それにより旅人たちは歩いて渡るしか方法がなかった大井川。
旅人たちは川越人足たちとの交渉で大井川を渡るようになり、
川越人足たちは組織化していった。
明治3(1870)年に渡渉制度が廃止されるまでのおよそ267年間、
この「渡渉制度」によって旅人は大井川を渡っていた。

「十番宿」
6枚描かれた大井川川越人足の浮世絵はドイツのミュンヘン五大陸博物館へ。
所蔵浮世絵の写真2枚を特別に提供してもらったという


「二番宿」
居住しているので見学不可

「仲間の宿」
各番宿の代表である川越小頭、陸取りが集まって会議を開いた場所


「立合宿跡」


「札場」
川越人足が川札を換金したところ

ここでは「機織り体験」ができる。
やってみたかったけれど、握りバサミなどの道具を持っていなかったので断念。

唯一現存している「川会所」は150年振りに元の場所へと移転するために
見学はできなかった。

「せぎ跡」
堤と街道が交わる部分に堰を設けて集落へ水が浸入するのを防いでいた。
現在も堤の両端に板をはめた溝跡が残っている。

「稲荷神社」
創建は宝歴十(1760)年
旅人や川越人足の安全を守るため奉斎したのが始まるだといわれている。

「七番宿跡」

「一番宿跡」

「荷縄屋」
現在は古民家コスプレスタジオ「白蓮亭」として営業している。


「仲間の井戸」昭和29年まで使用されていた

「六番宿」
居住しているので見学不可

「そば屋跡」

「九番宿」
着物レンタルや着付け、中古着物の販売や引き取りをやっているお店。

道路が広く車も頻繁に通行するため、通りを歩く時は気を付けないといけない。
島田市博物館本館や分館に駐車場があるので車で行っても安心。

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